【フィリピン編】日本と香港をつなぐトランジットのマニラ

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香港からマニラへ

僕はそんな女どものいるホテルを出て、空港に向かった。

時間があるので歩こうかとも思ったが、思い直してバスを待った。

A-1バスは12.30香港ドルと、半端な金額であった。僕は細かいお金を持っていなかったので、運転手に20香港ドル紙幣を見せて、「OK?」と訊いたが、「ノーチェンジ」と返ってきた。

7.30香港ドルを無駄にする気になれず、僕はバスを1本遅らせることにした。バスは12分毎に出ることになっている。

ボールペンを買って、次のバスに乗ると、僕の乗った次のバス停から、広州で一緒だった日本人が乗ってきた。

なんでも、今日東京から付き合っている彼女が香港にやって来るので、空港まで迎えに行くのだそうだ。安宿のドミトリーから高級ホテルのツインに移ったようで、クリスマスをここ香港で過ごすため、この上なくウキウキしていた。

空港に着いて、まず何をすべきか全く分からなかった。一人旅で外国から飛行機で出国するのは初体験だ。

離陸時間まで、まだたっぷりと時間があったので、システムを理解するために、あちこち見て歩いた。時間が近づいて来たため、代理店でもらったチケットを持って、それらしいカウンターへ行くと、チケットと航空券を引き換えて、機内に持ち込まない荷物を預けた。そしてイミグレーションを通って、出国スタンプを押してもらうと、あとは飛行機に乗るだけだった。

案外簡単なものだった。

飛行機は列車やバスと違い、サービスが行き届いているので、僕はうれしい。たった1時間半の旅なのに、食事もドリンクもついている。

僕は調子に乗って、ワインまで飲んでしまった。

フィリピンに着いた。日本人はビザが要るのか、要らないのか、なんの知識もないままチケットを購入したので、イミグレーションで並んでいて、ドキドキしたが、ここでも案外簡単にスタンプを押してくれた。

空港はとてもきれいだった。夜中だったので、移動するのをやめ、空港で朝を待つことにした。

「ここで寝てもいいか」と警備のおじさんに訊ねると、「もちろん」と笑顔で応えてくれた。

とにかく蚊が多かった。これまでは日本に近い季節感だったので、寒いゆえに虫に悩まされることはなかったが、これから熱帯の国へ行くのだから、虫対策が必要になりそうだ。寒いのも嫌だが、虫も嫌だ。

マニラでは観光もせず、空港からそのまま日本へ

暑さと蚊のせいで、ほとんど眠れなかった。

2階の出国ロビーへ行くと、空港で働くフィリピン人たちが陽気に声をかけてくる。そして、クッキーが入っていたような箱を突き出して、チップを要求してくる。

昔読んだ本で、どこかの国では、空港でワイロを払わなければ、いろいろとややこしいことになると書いていたのを思い出した。その国がどこかというのは忘れた。

だが、フィリピンのような国がその国である可能性は高いようにも感じられた。

僕は寝不足もあって、考える力を失っていたので、何も抗うことなく1USドルを入れた。

受付を済ませ、搭乗口である4番ゲートへいくと「DELAYED」(遅延)と言われた。

どれくらい遅れるのかと訊ねたが、考えたり、調べたりすることもなく、「I don’t know」と言われた。実に素っ気ない。

搭乗口の表示パネルには、8時15分の成田になっている。僕の乗るはずである関西空港行は9時発なのに。

僕はベンチで眠って待つことにしたが、いつ出発予定なのかも分からなければ、とても不安で、眠いのに眠ることはできなかった。

結局、飛行機は60分遅れて10時に出発した。

外の気温は暑いのに、機内は十分にクーラーが効いていて、僕は寒いくらいだった。Tシャツの上にポロシャツを着て、セーターを着て、ジャンパーまで着ることになった。

機内食を食べてから関空に着くまで、しっかりと眠った。

空港では日本語のアナウンスが流れ、どこから聞こえてくるのもすべて日本語で、誰と話しても日本語が通じた。ロビーのテレビにも日本人がいて、それが不思議に感じた。

イミグレーションを過ぎて、荷物検査のところで、僕は止められて、カバンの中身を丹念に調べられた。

洗ってないパンツやくつ下が恥ずかしかった。一通り調べられて、荷物をカバンに戻そうとしたが、どうしてもシュラフが入らなくて、仕方がないので、マニラでもらったビニールのバッグに押し込んだ。

空港で20USドルを円に換えたところ、2,265円になった。

空港から自宅まで、空港バスと電車と市バスを乗り継ぐと、2,140円かかったので、ぎりぎりだった。

自宅に帰ってきても、懐かしさはあまりなかった。学生時代に北海道や東北を自転車で旅していたのと同じくらいの期間なのだが、その時の感じ方とは全然違っていた。

おそらく、旅を終えて戻ってきたのではなく、一旦用事を済ませるために戻ってきたからだろう。

再びマニラ

日本での用事を済ませ、ついでに正月三ヶ日を実家で過ごして、旅を再開させた。

21時半にマニラのユースホステルに着いた。

空港は「ニノイ・アキノ国際空港」というらしい。由来は、空港内で射殺されたベニグノ・アキノ・ジュニア上院議員ということだった。

今回は、香港→マニラ、マニラ→関空、関空→マニラ、と3回フィリピンエアラインを使ったが、いずれもオンタイムではなかった。

今日も予定ならマニラ時間で16:45着のはずが、関空で45分遅れ、マニラに着いたのは18:40だった。ニノイ・アキノ国際空港を出たら、空は暗く、ただでさえ不安な僕の心を一層不安にさせた。

日本に一時帰国した際にコピーしてきた地球の歩き方のページを見ながら、一番安いユースホステルを目指したが、タクシーに乗らなければならないという。空港のタクシーは、何も知らない旅行者を狙って、ぼったくるというイメージが強かったので、バスかLRT(フィリピンの電車)を使いたかったが、誰に訊ねても、タクシーで行け、という。

ぼったくられないよう、いろんな人に値段を訊いてみたが、みんないうことはバラバラだった。170〜500ペソと幅が広い。みんなしてぼったくってやろうと思っているようだ。

僕は空港を出て、流しのタクシーを捕まえることにした。

空港の外をしばらく歩いて、偶然通ったタクシーを止めた。運転手の名前はべランスといい、クリスチャンだという。だからというわけではないが、話していても、真面目で、正直者のような感じがした。

ただ、ユースホステルの住所を教えても知らなかったので、多少の時間がかかってしまった。電話で訊き、道に迷って、それでも61.5ペソしかかからなかった。僕はチップのつもりで70ペソ支払った。

やっぱり空港タクシーは怖い。

マニラは暑い。温度計は29度を示している。

部屋の中は2段ベッドが12個並んでいるが、僕を含めて6人しか泊まっていない。

そのうち1人はムスリムらしく、さっきまで正座をして祈っていた。ムスリム以外は僕が来る前から寝ていた。

電気を点けると、まぶしそうに、迷惑そうにしていた。健康的なバックパッカーではなさそうだ。

居心地はよくないが、今日から3日間マニラを観光してみようと思う。

わくわくしない

マニラの朝は早い。みんな7時には目を覚ましている。

そのころにはすでに暑いので、僕も起きる。だけど、なぜか体がだるく、街を歩く気にならない。

歯を磨こうと思ったら、水道が壊れていて、水が出ない。腹が痛くなったので、大便をしたのだが、トイレの水も流れなかった。

ホテルの人に水が流れないことを伝えると、水を貯めた水瓶の場所を教えてくれた。バケツで水を運んで、流せということらしい。

昼過ぎにLRTの駅を見つけて、ペドロ・ギル駅まで行ってみた。そこがマニラの中心街のはずだった。

だけど駅のまわりにはさほど活気がなかった。

とりあえず、丸い公園を目指して歩いて行くと、馬車に乗ったおじさんが近寄ってきて、乗れ、乗れ、とうるさかった。この馬車が観光用なのか、タクシー代わりなのか分からないが、いくらかのお金を払うことは確実だろう。

普段なら相手をしてやって、情報を仕入れて、楽しんでから断るところなのだが、今日は体調が優れず、まったくその気にならない。素っ気なく無視することになった。

それでも馬車で僕の横をついて来る。しばらく歩いていると、雨がポツポツ。

雨宿りをすると、馬車のおじさんは降りてきて、僕が見ている地図を取り上げ、なにやら説明を仕出した。

英語なのか、タガログ語なのか分からないくらいの早口で、永遠と話し続けている。僕が理解しているのかを確かめることなく、一方的に話している。僕に教えるのが目的ではなくて、自分の考えを口にすることだけが目的なのだろう。

あまりにしゃべるので、僕からすると迷惑ではあったが、怒鳴る気にもならなかった。

馬車の男をその場に残し、僕は雨の中、駅へと引き返した。

マニラはマニラなのだが、この街は近代的で、あまりおもしろくない。物価が安いだけで、物珍しいものが見当たらない。中国のような驚きもない。

明日もう1泊だけして、早く香港に行こうと思う。

マニラ動物園

絵はがきを出すためにポストオフィスへ行った。ゾウリで行くには少し遠かったみたいで、足の裏が少々痛かった。

フィリピンの乗合バスジプニーに乗っていけば安上がりなのだとは思ったが、乗ったことがないこともあって、勇気が出なかった。手を挙げて乗るだけのようだが、少し日本に帰って休憩したからか、どうも消極的になっている。

結局LRTで10ペソ払って「QURINO」駅まで行った。

ポストオフィスを出て、地図のコピーを片手にマニラ動物園に向かった。

マニラ動物園に着く前に、日本語の書かれたラーメン屋を見つけた。QURINO駅やペドロ・ギル駅の近くには日本人向けの店が多い。ラーメンとかとんかつとか天ぷらとか。全部日本語で書かれている。

それだけ日本人が多いということだろう。客引きも日本語がうまい。

「遊ばないですか」

「女いりますか」

と日本語で誘ってくる。

地図に「どさんこラーメン」が載っていたので、そこに入ろうとしたが、隣の札幌ラーメン店の入口に、

「当店は安くておいしい日本料理店です。隣の店(どさんこラーメン)とは違って、明朗な会計を行っています」

と日本語で書かれた紙が貼られてあった。

これだけ堂々と「隣の店と違って」と書くには、それなりの理由があるのだろう。どちらも北海道のラーメンを提供しているのだろうけど、僕はどさんこではなく、札幌ラーメンの方に方向転換した。

店の中は小ぎれいにしていて、スタッフも日本語を話した。日本の新聞があり、大阪からパックツアーで来たという日本人のおじさん3人組がいたりもした。

日本に帰国する前だと、すごく嬉しかったのだろうけど、少し前に日本をたっぷり堪能したばかりだったので、もったいない気がした。

しかしながら、日本人をターゲットにしているだけあって、値段は高かった。一番安い塩ラーメンを頼んだけど、150ペソ(約670円)だった。日本よりも高い。

しかも茹で方あまりうまくなかったようで、コシもなく、おいしいとは言えなかった。厨房の中までは見えなかったが、作っているのは日本人ではないのかもしれない。

マニラ動物園へ行くと、入口にパンダの絵が描いてあったので、さんざん探したが、結局見つからず、飼育員に訊くと「いない」と言われた。探していた時間を返せ、と思った。

熱帯の国だけあって、ワニなどの熱帯動物は野外で野ざらしにされて、あまり丁寧に飼育されている様子はなかった。中国もあまり丁寧な感じはしなかった。その代わり、広い場所で飼われていて、それだけ野生に近いのかもしれないが。

大きな動物園だったが、楽しむべきポイントを把握せずに行ったので、流して見ただけで終わってしまった。

ガイドブックに頼るのはナンセンスだと、チャリンコで旅している時は思ったものだが、今は違う。便利な移動手段がない歩きの旅には、効率よくまわるためにも、ガイドブックなどの情報はあった方がいいと思う。

フィリピントイレ事情

マニラのユースホステルのトイレは、水の流し方は理解したが、一方お尻に拭き方がよく分からない。

マクドナルドやKFCへ行くと、トイレットペーパーがあるけど、ユースホステルのトイレにはトイレットペーパーはなく、手おけしかない。

イスラム信者の男が個室で用を足した様子を外からうかがっていると、紙を使わず手おけで水を汲み、水で流しているようだ。インドの方に行くと水を流しながら手で拭くと聞くが、フィリピンでもそういうことなのだろうか。

何が正解か分からないし、人に聞くようなことでもない気がして、僕は持っていたティッシュペーパーで拭き、汲んできたバケツの水を勢いよく流し、ティッシュペーパーが流れるのを祈った。無事流れるのを見てホッとした。

毎回大便をするたびに緊張する。

ニノイ・アキノ空港へはタクシーを使った。

空港まで行くジプニーも路線バスも、絶対にあるはずだが、いずれもすごく混んでいたので、怖気付いてタクシーに逃げた。

タクシーは楽だが、高い。しかも必ずふっかけてくるので、そのかけひきや交渉はセットになる。

走り出す前に値段を聞く。外国人だと分かると、メーターをセットしないドライバーが多い。

「空港までいくら?」

「70ペソだ」

事前調べでは50ペソで行けるはず。

「50ペソで頼む」

「OK」

あっさりOKするくらいなので、ダメ元でふっかけているのだろう。毎回疲れる。

香港のカイタック空港行きのフィリピンエアラインの便は今回も20分遅れた。どうやら遅れることがデフォルト設定になっているようだ。

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